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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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魔の山へ飛べ/史上最大の侵略(ウルトラセブン最終回)

さようならモロボシダン

1990年代のウルトラファンの間には、こんな議論があったようだ。もしもウルトラセブンが宇宙全体の平和を考える博愛主義者で、なおかつ絶対的な正義のヒーローであるとしたなら、地球防衛のことだけを考える「地球ナショナリズム」に与することは重大な矛盾になるのではないか? と。

たしかにダンはしばしば「宇宙全体の平和」については口にした。が、彼は自分が「正義」だなどとは一度も言っていない。ダンはそんなことは全く考えてはいない。つまり博愛主義者ではあるが、正義のヒーローではない。このことは、もう一度『ウルトラセブン』の全体像を整理すれば容易に分かることだろう。


そもそもウルトラセブンがどうして地球に飛来したのかの理由は明確には描かれていない。が、彼はまず地球という美しい「天体」自体が好きになった。次にそこに住む地球人類が、クール星人の侵略を受けつつあることを知った。そこで彼は地球人類に助言をしてやろうと考え、たまたま遭遇した薩摩次郎の勇敢な姿に感銘するとその容姿を借り、ウルトラ警備隊に接近して助言を行った。結果的にフルハシとソガを助けることになったダンは防衛軍基地におもむくと、そこでも助言を行い、請われてウルトラ警備隊の隊員となった。ただしダンはあくまで協力者・助言者の立場を逸脱しないように心がけ、いきなりセブンに変身して問題解決を早めるようなことはなかった。

そんな折り、ダンにとって忘れ得ぬ事件が起こる。
第11話「魔の山へ飛べ」(脚本:金城哲夫)
この回ダンは、ワイルド星人の「生命カメラ」で狙撃され、命を吸い取られてしまう。ダンの肉体は完全に死亡した。しかしアマギ隊員の尽力で、ダンの命は肉体へと復帰する。
「おかげで命をとりとめることができました。アマギ隊員、まさに命の恩人です。ありがとう」

その後も、ダンとウルトラ警備隊は互いに助け合う持ちつ持たれつの関係が続き、やがて最終回を迎える。
第48話、第49話「史上最大の侵略」(脚本:金城哲夫)
ダン(セブン)の体はこれまでの激闘がたたってボロボロだ。そこへ「セブン上司」がやってきて、変身して戦闘すればM78星雲に帰れないぞ、と忠告する。しかし、時悪くゴース星人による過去に例を見ない大規模な侵略が開始されてしまった。ゴース星人はアマギ隊員を人質にとったうえで、地底ミサイルでモスクワ、ニューヨーク、ロンドン、パリと破壊していく。東京攻撃が30分後に迫る。ここでウルトラ警備隊はようやくゴース星人の基地を発見し、自動操縦のマグマライザーに時限爆弾を積んで突入させる作戦を立てる。この様子をビデオシーバーで見ていたダンは人質のアマギを助けるため、制止するアンヌを振り切ると、ついにセブンに変身する・・・。



「地球ナショナリズム」どころではない。ダンは、モスクワやニューヨークなどはあっさりと見捨ててしまった。ダンはそんなものを守るためには変身しなかった。ダンにとってはたった一つ、アマギ隊員の命だけが、自分の命と引き換えにしても惜しくはないものだったのだ。おそらくアマギ隊員が人質になっていなかったら、ダンは東京さえ見捨ててしまったことだろう。

このようにダンが「正義のヒーロー」でも「地球ナショナリスト」でもないことは明白だ。
彼は、自分を受け入れ、必要としてくれた(そして第11話ではその肉体の死に泣いてくれた)ウルトラ警備隊の仲間のために戦ってきただけだ。
つまり『ウルトラセブン』とは、宇宙人と地球人のあいだに芽生えた「友情」の物語だった。それだけが『ウルトラセブン』の本質であって、あとの要素は作劇上の装飾に過ぎないと言ってもいいだろう。

そしてそのことは、もしもモロボシダンに「金城哲夫」が投影されているとするならば、より一層理解できることだろう。「ノンマルトの使者」に沖縄人の怨念を込めたところで、何一つ問題は解決しないのだ。本当に「本土と沖縄の架け橋」であることを目指すなら、まず自ら本土の人の中に飛び込んでいき、真の友情を築き上げることが先決だろう。本土の人の気持ちを理解し、本土の人の立場から、あらためて沖縄を見つめ直すことが求められるだろう。

こざかしい理屈なんて金城哲夫には必要なかった。
彼がそれまでの28年間の人生でやってきたことを、ただストレートに主人公モロボシダンに投影した作品が『ウルトラセブン』だった。
そのように、ぼくには思える。



それにしても、「ノンマルトの使者」に沖縄人の怨念がどうしたこうしたと言う前に、ぼくらは『ウルトラセブン』に秘められたもう一つのメッセージを感じ取る必要があるんじゃないだろうか。
それは、この美しい宇宙人と地球人の友情を下支えし、担保しているものの存在についてだ。

今さら強調するまでもない。それは地球人(実際には日本人)の自主独立心と自衛力のことだ。
セブンは協力する者、助言する者であって、保護や庇護をする者ではない。だとしたら、本当の1967年にセブンが現れたとしても、彼はぼくらの日本にとどまることはなかっただろう。あの虚構の世界の日本人に自主独立心と自衛力があったからこそ、彼は協力と助言を惜しまなかったのだ。

聞けば『ウルトラセブン』の舞台は1987年に設定されていたという。
それからもう20年。ぼくらの国は、いまもなお他国からの保護と庇護を必要としている・・・・。
そんなぼくらに『ウルトラセブン』やモロボシダンについて語る資格はあるのだろうか。

つづく


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