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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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勇気ある戦い ~ウルトラセブンと佐々木守

クレージーゴン

繰り返しになるが『ウルトラセブン』というのは極めて単純なストーリーだったと思う。地球という天体が好きになった宇宙人がそこに住む人間も好きになり、地球を守ろうと働いている人々を助けていく。具体的に言えば、宇宙人ウルトラセブンと人間ウルトラ警備隊の「友情」が、『ウルトラセブン』のメインテーマだった。

だからモロボシダンはいつでも出過ぎたマネはせず、助言や協力をすることにとどまった。彼がもしも本当に「宇宙全体の平和」のために働くというのなら、彼は人間の姿になどならずウルトラセブンとして行動すればよかったが、ダンはそうはしなかった。

言うまでもなくこのダンのあり方には、「沖縄と本土の架け橋」になろうと志した金城哲夫自身の姿が投影されていると見ることができる。玉川学園時代、金城はまだアメリカ軍占領下にあった沖縄に学友たちを連れて行っているが、これは一人の沖縄人が、本土の日本人と「友情」を結んだ結果だと言えるだろう。

そんなダンは、劇中でしばしば「苦悩」する。しかしその苦悩は、地球の友人たちがまだ未熟で宇宙のルールを知らないことから起こるものだった。あるいは異星人同士の不信感や無理解が起こすものだった。
ただしそんな場合でもダンは人間に「善悪」や「正義」を押し付けるようなことはしなかった。彼は人間を裁くものではなかった。彼が欲していたのは人間との「友情」だけだった。


と、それだけの話だと思われる『ウルトラセブン』だが、どういうわけか必要以上に重く暗いテーマをもった作品だと語られることが多い。いわく、地球だけに味方する「正義」の矛盾だとか、弱者を排斥する「正義」の矛盾だとか。このとき「ダークゾーン」「超兵器R1号」「ノンマルトの使者」あたりが題材として多く使われるようだ。

で、こうした論調の根拠となるものを探していくと、そこにはいつでも「沖縄人」という金城哲夫のアイデンティティに行き着くことが分かる。沖縄人でありながら本土で活動する金城、とか、沖縄という弱者をノンマルトに投影した金城、とかだ。

しかし、そうした論調にぼくがどうも納得がいかないのは、それらが金城の後半生、すなわち円谷プロを半ばクビ同然に退社し、帰郷した沖縄でも失意の連続だった金城の後半生から、さかのぼって構想された議論であるように思えるからだ。

たしかに金城の晩年は、本土の人間でもなければ沖縄の人間でもない金城のアイデンティティの崩壊があった。しかし『ウルトラセブン』の企画を練っていたころの金城は、まさしく向かうところ敵なしの快進撃中で、アイデンティティがどうのこうのなど考えるヒマすらなかっただろう。それにそもそも金城哲夫は常に前向きのブルドーザー型で、内に籠ることがほとんどなかったというのは当時を知る多くの人々が証言していることだ(『金城哲夫ウルトラマン島唄』など)。

言いかえるならこうだ。
もしも金城が『ウルトラセブン』のあとの『マイティジャック』『怪奇大作戦』もヒットさせ、念願だった直木賞を沖縄をテーマにした作品で受賞し、その後も本土と沖縄をまたにかけて活躍し、今でも幸せな余生を送っていたとしたなら、それでも人は金城の『ウルトラセブン』に彼の「苦悩」を見たのだろうか、という疑問だ。金城の不幸な晩年から恣意的に遡って、ありもしない心の暗部を創造してはいないのか、という疑問だ。
ぼくにはやはり、金城はただ異邦人どうしの間に芽生えた友情物語を描いたようにしか思えない。


その証拠になるかどうかはわからないが、金城哲夫が自身を投影させたモロボシダンがいかに一貫した人物像をもち、彼がグランドデザインを描いた『ウルトラセブン』がいかに破綻がないかを表す絶好の素材がある。

第38話「勇気ある戦い
この脚本は、あの佐々木守だ。佐々木守がウルトラシリーズで何をやってきたかについては散々書いてきた通りだが、その主張を要約すれば、ヒーローは「国家」を守っているのであって、弱い「個人」はしばしばその犠牲にされる、ということになるだろう。怪獣ジャミラ「故郷は地球」などがその代表格だ。

「勇気ある戦い」は、「心臓欠損症」で入院している少年の話だ。この少年は明日に手術を控えていたが、怖くて怖くて仕方がない。それで姉の友人であるアンヌ隊員に頼んで、憧れのダン隊員に会えれば手術を受けてもいいと言いだす。ダンは快く少年に会い、翌日の手術に立ち会う約束をする。しかし侵略宇宙人のロボット・クレージーゴンが現れ、戦闘中のダンは約束の時間になっても病院には行けない。執刀医のユグレン博士は、その日のうちに次の手術のためシンガポールにフライトする必要があるため、手術の延期もできない。少年はダンのことを「うそつき、うそつき」と呪い続ける・・・。


例によって病人という「弱者」が登場する。「国家」の任務のために約束を果たせない主人公のダンがいる。佐々木守のお得意のシチュエーションと言っていいだろう。でも一体だれがこの少年に同情し、ダンを薄情だと言えるだろう。むしろこの少年の身勝手さに腹を立てる人の方が多いのではないか。
それは、ダンには地球を守る理由なんて何もないのに、血を流し、命をかけて戦ってくれていることをぼくらが知っているからだ。この少年のわがままにダンがうんざりし、ジュワとM78星雲に帰ってしまっても誰も文句は言えないのだ。

このように『ウルトラマン』では通用した佐々木の手法は、『ウルトラセブン』には全く通用しない。
それは、セブン=ダンは決して「正義」のために働いているわけじゃないからだ。自分を受け入れ、信頼してくれる仲間のために彼は戦っている。そこには、ダン同様にかつては異邦人だった金城哲夫自身の姿が投影されている。そしてそののち本土の人々と多くの友情を結び、絶好調の人生を送っていた1967年当時の金城の姿がそこにある。

だからモロボシダンにも『ウルトラセブン』にもブレはない。
金城が再び沖縄に思いを馳せるようになるのは、それからしばらく経ってからの話というわけだ。

つづく

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