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竹波エーイチ

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ゴジラは誰なのか? ~「ゴジラはなぜ『暗い』のか」川本三郎

ゴジラ東京2

生粋の怪獣ファンを自認する小説家の八本正幸さんは『神獣の誕生』(『怪獣神話論』)という文章のなかで、次のような問題提起をしている。

先行する作品『原子怪獣現わる』があったにもかかわらず、リドサウルスではなくゴジラになぜこのような神性が宿ったのだろう?


ゴジラには「神性」がある。それが日本のゴジラとハリウッドのGodzillaを分ける最大の要因だとぼくも思う。ハリウッドのGodzillaは、所詮は用意されたエサ(魚)におびき寄せられるトカゲでしかない。
では、ぼくらは日本のゴジラのどこに「神性」を見るのだろうか?

おそらくそれは、ゴジラが「怒っている」ことにあるとぼくは思う。
古来、日本人にとっての「神」は、人間を救済してくれたりする親切な存在ではなかった。救済は「仏」の役目だった。日本の「神」はいつだって、怒り、祟る存在としてぼくらの前に現れる。
そしてゴジラも何かに怒っていて、東京に祟りをなした。
それがゴジラにぼくらが「神」を感じる理由だろう。同じく特撮ものの『大魔神』は、まさに日本人の「神」観をそのまま映画にしてしまったものだと言える。

しかし、それにしてはゴジラはなぜ日本を襲うのだろう?
日本は水爆実験もしていないし、何かゴジラの逆鱗に触れるようなことをしたような覚えはない。
ゴジラが怒り、祟りをなすべきは、水爆実験を実行したアメリカに対してではないのか?

八本さんの『神獣の誕生』によると、「『原子怪獣現わる』は『ゴジラ』の前年五三年にアメリカで制作された怪獣映画」だそうだ。そしてこの映画が『ゴジラ』の元ネタであることは、『ゴジラ』のプロデューサー田中友幸本人が認めていることでもある。

その、『原子怪獣現わる』のあらすじは、八本さんの要約によるとこうだ。

北極で行われた水爆実験は、氷の中で眠っていた恐竜を蘇らせてしまう。恐竜は放射能汚染されているため、放射性廃棄物に近い成分の血液を流し、かつての生息地であったニューヨークを襲うが、アイソトープ弾を撃ち込まれ、息絶える。


ここには『ゴジラ』では触れられなかった、ゴジラについての重要な指摘がある。それは、蘇ったリドサウルスが「かつての生息地」を目指した、ということだ。もしもゴジラが、リドサウルスのmade in japanであるとしたら、ゴジラも同じように「かつての生息地」を目指さなくてはならないのではないか?
だとすれば、ゴジラはそもそも、日本が出身地だと言うことになる。


『原子怪獣現わる』にインスパイアされたという田中友幸は、『ゴジラ』の初期の企画段階で、『ゴジラ』の寓意を次のように考えていた。
「人間が人間のために復讐されるという理念」『円谷英二の映像世界』
人間が人間によって復讐される・・・。
それでは田中の考えていたゴジラとは、もとは「人間」だったのだろうか?

ゴジラは劇中、古生物学の大家である山根博士により「200万年前」の恐竜の末裔だと説明された。しかし、言うまでもなく山根博士の言う恐竜たちの「ジュラ紀」は1億年以上前の時代で、200万年前といえばアウストラロピテクスが地上を闊歩していた頃だ。
では原作の香山滋はなぜ、こんなバカバカしいミスを犯したのか。「『ゴジラ』の誕生」(『円谷英二の映像世界』)のなかで、竹内博さんはそれをこう解釈している。
「つまり、人類の歴史に、ゴジラをオーバー・ラップさせているのである。ゴジラは人間自身の姿であると……」

ここでもまた、ゴジラは「人間」だと見なされている。
南太平洋に出現したゴジラは「かつての生息地」を目指すリドサウルスであり、同時に「人間」でもある。
だとしたら、ゴジラは、「彼」は、誰なんだろうか?
南太平洋で、一体、何が目覚めてしまったのだろうか?


ゴジラの二度目の上陸に備える東京の山根博士邸では、こんな議論が行われた。
山根恵美子との結婚を目論む尾形は、博士に言う。
「ゴジラこそ我々日本人の上に、今なお、おおいかぶさっている水爆そのものではありませんか!」
これに対し、ゴジラを殺すことに反対する山根博士は言う。
「水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きている生命の秘密を、なぜ解こうとはしないんだ!」

尾形の発言は、まさに佐藤健志の言う「被害者意識」丸出しのものだ。彼は、アメリカのせいでまたもや日本人が核の脅威にさらされていることを暗に訴えている。「今なお」、すなわち、あの原爆に次いで、ということだ。
しかしこの時、尾形はどうして「我々日本人」とことさらに限定したのだろう? 核の脅威にさらされているのは世界全体だと言うのに。

尾形によって唐突に飛び出した「我々日本人」という言葉。
それはそのあとに続けられる「放射能を受けながら、なおかつ生きている生命」が、ひとりゴジラだけを指しているのではないことを、ぼくらに告げているように思える。
ここでもまた、世界で唯一、原爆による放射能を受けた「我々日本人」がゴジラにオーバーラップさせられているのではないか。
つまりゴジラは「人間」であり「日本人」であるのではないか。だから水爆実験によって目覚めてしまったゴジラは、日本だけを目指すのではないか。
尾形と山根博士の短いやりとりは、そんな空想をぼくらにもたらす。


かくしてゴジラには一つの「神性」が宿されることになる。

そしてこのとき『ゴジラ』は「戦災映画」「戦渦映画」である以上に、第二次世界大戦で死んでいった死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちへの「鎮魂歌」ではないのかと思いあたる。”海へ消えていった”ゴジラは、戦没兵士たちの象徴ではないか。

評論家、川本三郎さんの「ゴジラはなぜ『暗い』のか」(「今ひとたびの戦後日本映画」)のなかの、有名な一説だ。川本さんはゴジラの最期に戦艦大和の最期を重ねたうえで、こうも言う。

東京の人間たちがあれほどゴジラを恐怖したのは、単にゴジラが怪獣であるからという以上に、ゴジラが”海からよみがえってきた”戦死者の亡霊だったからではないか


そしてゴジラの「神性」は、東京を破壊するという怒り、祟りとして現わされる。ではこのとき「彼」は一体何に怒っていたのだろう?
きっとそれは、「彼」をあのような醜い姿に変えてしまったアメリカの核の力によって守られている、東京の平和の「嘘」にだろう。核「そのもの」になってしまったゴジラは、日本人が安全保障を依存しているアメリカの核の脅威を実際に示すことで、その欺瞞に意義を唱えているように、ぼくには思える。

ゴジラの最期は、芹沢博士が自らの命を投げ出すことによって果たされたが、このことは『ゴジラ』の最初の方で語られる、大戸島の古老の言葉を思い出させる。
「むかしは長く時化の続くときには、若え娘っ子をいけにえにして、遠い沖に流したもんだ」
こうしてゴジラは、再び神話の世界に帰っていった。



と、長々書いてはみたが、こんな話はゴジラファンにとっては「いまさら」というような話でしかない。
ではなぜいまさら、こんなカビ臭い話題を出したのか。
それはこの後ぼくが話したいと思うことが、これらの知識を、前提として必要とするからだ。ぼくは「ゴジラシリーズ」(正確には「東宝怪獣映画シリーズ」)とは、この初代ゴジラの持つ「神性」を、ある人物が発掘し、拡大し、完成させたものだと考えている。だから、初代ゴジラの「神性」について、先にまとめておくべきだと思った次第だ。
で、ぼくの言う「ある人物」とは、言わずと知れた中期ゴジラシリーズのメインライター、関沢新一のことを指す。

つづく

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