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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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ウルトラマンA 男女合体変身その1

男女合体変身

『ウルトラマンA』で打ち出された新機軸といわれる要素は3点。
・男女合体変身
・ウルトラファミリー
・ヤプール人という組織的侵略者

まずはこのうちの「男女合体変身」から見ていきたい。


前回の記事でぼくは、『ウルトラマンA』は「戦後民主主義」と呼ばれる思潮を積極的に取り入れていった結果、自家中毒をおこして敗北に至った、と書いた。
それでは「戦後民主主義」とは何かというと、その名の通り「戦後」の日本に広められた民主主義を指し、戦前の「大正デモクラシー」と対をなす。「日本国憲法」「教育基本法」が根幹にあり、国民主権、平和主義、人権主義を三本柱とする。
と、Wikipediaには書いてある。

簡単に言えば、とにかく何が何でも「個人」が重要だ、とする思潮だ。個人の自由と権利は、何ものにも代え難い最高の価値だ、とする考え方だ。
となれば、ここから次に派生してくる「主義」は簡単に想像がつく。
平等主義、特に、男女の平等だ。

当時まだ幼児だったぼくには知る由もないことだが、ぼくが生まれた1967年頃は、日本にはまだ「男女平等」という意識は乏しかったらしい。それが現在のような意識に変わったきっかけは、1960年代後半の「ウーマンリブ運動」だった。

ウーマンリブ運動_Wikipedia

つまり『ウルトラマンA』の放送が始まった1971年ごろと言うのは、まさにこのウーマンリブ運動まっさかりの時代だったということだ。実際、同じ頃に円谷プロが制作した『トリプルファイター』という特撮番組も、3人のヒーローのうち1人は女の子だった。

『ウルトラマンA』や『トリプルファイター』が、急速に社会に広まりつつあるこの「最新の」思想を取り入れたことは間違いないだろう。男女平等の意識もないところに、女性がヒーローの一角を占める番組を作ったところで受け容れられるわけがないからだ。

※以上、中年には当たり前の知識だが、もしかしたら若い人もこの記事を読むかもしれないと思い、老婆心ながら説明した。

さて、こうして男女平等の社会風潮を背景に、北斗星司と南夕子による男女合体変身を売り物にしてスタートした『ウルトラマンA』だが、それが単に目先の新しさだけを追ったものではないことはすでに見てきたとおり。
そこにはヒーローが子どもたちに示すべきものは、勇気や強さだけではなく、やさしさも必要だ、という主張があった。これを児童教育の側面から捉えれば「父性」と「母性」と言い換えることができるだろう。

『ウルトラマンA』はこの両面を同時に具有することで、全く新しいヒーロー像を目指したのではないか、というのが前回までの話の流れだ。


ということは、逆に考えれば、これまでのウルトラマンたちは父性一辺倒で、母性を示してはいなかった、ということになるが、果たしてそれは正しい評価だったのだろうか?

高田明典という先生は『アニメの醒めない魔法』(PHP/1995年)という本のなかで「ウルトラマンは、子供の内に存在する原始的衝動(=怪獣)を抑える規範そのもの」と書いている。
子どもはまず、ビルや家屋を破壊する怪獣に自己を投影して興奮するが、やがて「こんなことをしていては叱られる」と葛藤する。そこへウルトラマンが現れると、今度は子どもはウルトラマンに自己を投影をするようになり、葛藤は解消する。そのときウルトラマンは、子どもにとって「超自我」として機能している、ということらしい。

この説明は大変分かりやすい。
ウルトラマンは、泣きわめいたり駄々をこねて暴れる子ども(怪獣)に、禁止事項を教える存在だということだ。

が、問題なのは、このときウルトラマンは「直接には」子どもたちに父性を示しているわけではない、ということだ。ウルトラマンが父性を示しているのは怪獣に対してであって、人間の子どもたちはそれを間接的に受け取るしかない。
しかし、人間にとっては巨大で手に負えない怪獣どもも、ウルトラマンにとっては巨大でも強大でもない。完全武装したプロのコマンドが、熊やら大蛇やらを退治しにいくくらいの危険度だろう。
だからウルトラマンの戦闘自体から、子どもが学べることはほとんどない。

つまりウルトラマンは、実際には子どもたちに「父性」を示しているとは言い難い。
ウルトラマンは禁止事項を教えるだけで、子どもを社会化したり、理想を示したりする効果はない。
それができるのは、ハヤタでありモロボシダンであり郷秀樹といった変身前の人間の姿だ。彼らがウルトラマンになるまでの過程にこそ、子どもたちが学ぶべき父性が存在する。

ところが、ここでウルトラマンの行動について改めて考え直したとき、面白い事実が見つかる。
それは、ウルトラマンは人間の善悪を問わず、全てを救済する、という点だ。
たとえば「まぼろしの雪山」では、村民が雪ん子を虐めたからウーが出た。しかしウルトラマンは村民に、おまえらが悪いから自業自得だ、とは言わない。
たとえば「恐怖のルート87」では、子どもをひき逃げしたクルマに怒ってヒドラが出た。しかしウルトラマンは犯人を捕まえて、ヒドラに引き渡したりはしない。

こんなのは一例で、ウルトラマンはいかなる場合であっても、人間の善悪や賢愚は問題にしない。
どんな場合でも、そこにいる全ての人間を助けようとする。
ここでもう一度Wikipediaから引用すると、父性は「善と悪を区別して指導する傾向」とあり、母性は「善悪の分け隔てなくすべてを包み込む傾向のこと」とある。

ならば、ウルトラマン自身が人間に対して示すもの。
それは「母性」だ。


半分以上前置きで終わったが、つづく



この1年でゴジラやウルトラに関する本を50冊ほど読んだのだが、そのうち「こりゃスゲー」と感動した本は

・「怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち」(切通理作)
・「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」(佐藤健志)
・「アニメの醒めない魔法」(高田明典)

の3冊。上から、作家論、構造分析、児童心理学の本。

しかし、いずれも絶版で古本でしか手に入らないとは・・・。
しかも全部10年以上前の本だ・・・。



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