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竹波エーイチ

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1967年生まれのおっさん。
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ゴジラの逆襲 ~香山滋

ゴジラ大阪2

初代ゴジラとは何だったのか?
このヒントは、実はぼくらの目の前にあるのかもしれない。

ゴジラ映画の第2作となる『ゴジラの逆襲』、この作品が公開されたのは1955年4月24日。なんと、あの『ゴジラ』からわずか半年後のことだ。こんな短い期間に大の大人に心境の変化が起こって、制作者たちのゴジラ像が極端に変化するとは考えにくい。『ゴジラの逆襲』のゴジラは、おおよそのところでは『ゴジラ』のゴジラと同じものだと考えてもいいはずだ。

『ゴジラ』の続編を依頼された香山滋は、熱海行きの電車のなかでアイデアを練ったが、一向に思い浮かばないまま目的地に着いてしまった。ところが・・・。

観念して、風呂に飛びこんだとたん、アッ、と自分でもびっくりして声に出したほど、いっきにインスピレーションが湧いた。

『ゴジラ』第二世は、かくして、熱海の温泉内で誕生した。(「『ゴジラ』第二世誕生」)


それは1954年12月20日午後5時30分のことだったそうだ。『ゴジラ』が公開されてから、まだ2ヶ月も経っていない。

この時の香山の様子からは、全く新しいアイデアが突然浮かんだというよりも、脳内のカオスが一瞬にして整理されたという印象がある。つまり、答えは自分のなかにあることに香山は気がついたのではないか。だから、「アッ」という一瞬の奇声で、全ては完成していたのではないか。
香山の述懐によれば、「『ゴジラ』第二世を、いったいどう始末をつけてよいやら」というフィナーレの前までは「案外すらすらと筆が運んだ」とのことだ。

そうしてみると『ゴジラの逆襲』は『ゴジラ』の正統な続編であるというだけではなく、『ゴジラ』の「後編」と考えることさえできる作品であるように思える。実際、「香山ゴジラ」はこの2作で完成したのか、香山は以後のゴジラ映画の原作の依頼を、ついに死ぬまで拒否している。


では、「香山ゴジラ」の「後編」、『ゴジラの逆襲』で描かれたものは何だったのか?
おなじみ佐藤健志は『ゴジラはなぜ日本を襲うのか』のなかで、このように書いている。

『逆襲』では、これに加えてシベリア(!)の水爆実験でめざめた怪獣アンギラスまでが、やはり日本を襲うのである。

『逆襲』は西日本沖のある小島に不時着した日本人パイロットが、ゴジラとアンギラスが死闘を繰り広げている様子を目撃するという、朝鮮戦争を想起させるシチュエーションから始まるのだ。


つまり佐藤健志は、『ゴジラの逆襲』には、アメリカ(ゴジラ)とアンギラス(ソビエト)による冷戦に、何の関係もない日本人が巻き込まれたという「ひがみ」意識が根底にあると言っているわけだ。

しかし、この佐藤の説には問題があるとぼくは思う。
と言うのも、劇中のどこにもアンギラスがシベリア出身である、という表現はなされていないからだ。もちろん香山滋の原作にもそんな記述はない。おそらくアンギラスがシベリア出身だというのは、後にブロマイドメーカーあたりが東宝に設定してもらったものだろう(ネットでも検索してみたが分からなかった)。
つまり、1955年当時の人々が、『ゴジラの逆襲』をそういう視点で観ることは不可能だということだ。

ついでに書いておくと、佐藤健志は、自衛隊が壊滅したのに在日米軍が出てこないことを指摘して、「日米安保はどうなったのか」と笑っているが、言うまでもなく1955年当時の安保はまだ不平等条約の段階で、アメリカには日本を助ける義務はない(だから安保改定後の1961年『モスラ』には在日米軍が出動している)。


さて、すでに冒頭部分は佐藤健志の引用で済んでいるのでその続きになるが、結局ゴジラとアンギラスは大阪に上陸してしまう。二匹は激しい格闘を始め、その結果として大阪の街は廃墟と化していってしまう。大阪のシンボル、大阪城も格闘の巻き添えとなって崩壊する。戦いはゴジラの勝利に終わり、アンギラスは死ぬ。満足したゴジラは海に帰っていく・・・。

ここでまず注目すべきことは、この大阪の惨劇には「戦災」「戦渦」の要素もなければ、「核」や「放射能」の描写も全くないということだ。さらには破壊の目玉が大阪城であることで、近代文明批判や大自然の復讐といった『ゴジラ』で語られがちな含みもない。
人は死んだが、明らかに死んだと映像で分かるのは、ゴジラの上陸を招き入れてしまった囚人が自業自得として死んだという描写くらいだ。
燃える大阪の街もなにか空々しいものがある。東京版の劣化コピーのようだ。

さらに見逃せないのは、『ゴジラ』では終盤にあったこの破壊活動が、『ゴジラの逆襲』では全体の真ん中より前に配置されているということだ。破壊が終わってもこの物語はようやく半ばに差し掛かっただけで、それはつまり、ゴジラによる破壊がこの物語の主役ではないことを意味していると思われる。
それでは『ゴジラの逆襲』の主役は何だったのだろうか?

『ゴジラ』では、破壊を終え、悠然と海に帰っていくゴジラの後ろ姿に、人々が「ちくしょう、ちくしょう」と恨み節を述べるシーンが印象に残った。
しかし『ゴジラの逆襲』の大阪の人々にそんな暗さはない。みな明るく、力強く、大阪の街の復興に励む様子が表現されている。
そしてゴジラ第二世の最期。この時、オホーツク海の神子島で発見されたゴジラを氷の中に封じ込めたのは、日本の自衛隊と民間人の、知恵と勇気の協力による作戦だった。

これが『ゴジラの逆襲』の後半部分で描かれたものだ。


こうして、ここに「香山ゴジラ」の全体像が姿を現す。
『ゴジラ』の東京破壊と『ゴジラの逆襲』の大阪破壊は実際には同一のものだったと考えれば、それに続く復興を信じる人々の明るさと、自らの力でゴジラを倒す日本人の知恵と勇気こそが、「香山ゴジラ」のメインテーマだったことが分かる。
香山はその必然的な決着に、あのとき熱海の温泉で気がついたのだろう。そうでなくてはならないと。それ以外に『ゴジラ』を終わらせることはできないのだと。

だから「香山ゴジラ」は、ただいたずらに東京大空襲や原爆を再現させて、日本人に戦争の恐怖を追体験させるものではなかった。むしろ反対に、それらを力強く乗り越えた日本人を誇り、その知恵と勇気を次代の子どもたちに伝えるためのものだったのだとぼくは思う。

香山は言う。

『ゴジラ』が出てくると、観客は笑うのである。声を出して笑わないまでも、クスリと微苦笑するのである」
「ぼくとしては、原水爆禁止運動の一助にもと、小説の形式を籍りて参加したつもりであったが、これでは全く惨敗に近い(『ゴジラ』ざんげ」)


もちろん香山はゴジラが恐怖の対象になっていないことを嘆いているわけではない。
「『ゴジラ』ざんげ」にはゴジラへの愛とともに、ゴジラで笑えばいいんだ、という香山の日本人への温かいまなざしを感じることができる。しかし、『ゴジラの逆襲』を『ゴジラ』の後編だとする観点がなければ、おそらくその香山のまなざしは理解することはできないだろう。『ゴジラ』を、戦争の悲惨さを訴える作品だと言うのは、『ゴジラ』の半分だけしか見えていないのだとぼくは思う。



「香山ゴジラ」は完結した。香山がゴジラのさらなる続きを書くことはもうない。
しかし香山はこうも言った。

若し書くとすれば、それは、原水爆の象徴としてではなく、別の意味の『ゴジラ』として生れかわらせる外には、絶対に今後姿をあらわすことはない。

香山の誓いとは裏腹に、この7年後にゴジラは再びぼくらの前に姿を現すことになる。
それではそれは、一体どういう「別の意味」を持ったのだろうか?

つづく


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