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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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ウルトラ6番目の弟/きみにも見えるウルトラの星

梅津ダンとウルトラの星

夕子と別れ、一人になった北斗がやるべきことはただ一つ。
それは、ウルトラに父性を取り戻すことだった。

北斗は頑張った。
第29話からはまさに子ども、子ども、子ども。北斗は積極的に子どもたちに中に飛び込んでいき、彼らの悩みや苦しみと一緒にあろうとした。ときにはTACの命令を無視してまで、北斗は子どもたちを救おうと奮闘した。

が、それらの試みはすべて失敗に終わった。
なぜなら北斗は、その最初からつまづいてしまったからだ。

第29話「ウルトラ6番目の弟」。
夕子と入れ替わるように登場した「梅津ダン」という少年には、昼間から空に星が見えるという。そのせいでダン少年は、友達からウソつき呼ばわりされ、苛められていた。
ダンは1年前に父親を亡くし、今は姉の香代子と二人暮らし。ダンの父は「決断の断、断固としての断」という意味で、我が子にダンという名を付けた。そんな父を、ダンはずっと尊敬していた。
香代子は北斗に、父の口癖はこうだったと言う。
「ダンって名前に負けるな。男らしく生きろ。正しい者は必ず勝つ。自分のためのウソはつくな・・・。だからダンは嘘つきって言われることが大嫌い」

ダンは尊敬する父の言葉を守り、勇敢で信念を持ったやさしい子どもに成長した。
言うまでもない、これこそが北斗が求める「父性」の、最良の表れというものだろう。しかし、今、ダンの中の信念は揺らいでしまっている。

北斗はダンを励まそうとして、星の正体を明かしてやる。
「あの星はウルトラの星だ。どんな時にもへこたれず、負けるもんか、負けるもんかって頑張れば、ウルトラの星は君にもずっと見えるようになるよ」
ダンは立ち直り、自分を信じる心を取り戻す。そして、一度は見えなくなっていたウルトラの星がいつでも見えるようになり、自分は「ウルトラ6番目の弟なんだ」と明るく笑うのだった・・・。


このときの北斗の言動が、どれほどの大問題だったかは、大人になってしまってからは分からないことだろう。大人はウルトラマンが中に人が入った着ぐるみであることも知っているし、ウルトラの星なんてホリゾントに取り付けられた豆電球だろうと思っている。
が、当時の子どもたちはどうか?
「負けるもんか」と歯を食いしばって涙をこらえれば、そこにウルトラの星は見えただろうか。

・・・見えるわけがない。
しかし北斗隊員は見えるといい、梅津ダン少年にも見えるという。ダンはともかく、ウルトラマンが嘘をつくわけがない。だったら、ダン以外の少年少女は、いくら「負けるもんか」と頑張ってみたところで将来ウルトラマンになることはできない。「ウルトラ5つの誓い」を守ったって、人間はいつまでたっても人間じゃないか。ウルトラマンになれるのは、梅津ダンだけじゃないか・・・。

当時、幼稚園児だったぼくらの受けた衝撃は計り知れない。
北斗はここで、ウルトラと人間の間に明確な線引きをしてしまった。ウルトラはウルトラ、人間は人間。ただし、北斗やダン少年のように、ごく少数の「選ばれた」人間もいる。
これはもはや、一種の選民思想(エリート思想)だと言っていいだろう。

なぜ、北斗やダンはウルトラに「選ばれた」のか? 
本当はそこにこそ、北斗が子どもたちに示すべき父性があったのに、北斗はそれに気づかず、実際にウルトラの星が見えるかどうかに父性を預けてしまった。
それによって梅津ダン少年ただ一人は救われたが、ダン以外のすべての子どもはウルトラとは無関係な存在に、ふるい落とされてしまった。
ダン以外のぼくら雑魚は、ただウルトラに救いを求め、その登場を懇願するだけの、哀れな子羊なのだ。


このダンとの出会いの後も、北斗は必死になって子どもたちを助けようと頑張った。
しかし、選民思想を持ち、地球と人間への自然な母性を失ってしまったウルトラマンAが、本当の意味で子どもたちを救えることはなかった。
なぜなら北斗は(ダンとのやりとりを見れば分かるように)個別の問題を解決することばかりに執心してしまったからだ。

子どもたちに必要だったのは普遍的な規範となる父性だったのに、北斗は子ども個人の問題にばかり関わってしまった。だが、少女の死んだ母親のお誕生日プレゼントの自転車を命がけで拾いに行っても、動物園で射殺されかかっているバクを助けても、おねしょに悩む少年に自分もそうだったと励ましても、それらはその当事者の問題でしかないのだ。
『3年B組金八先生』がいくら桜中学の廊下を走り回ろうとも、他の学校では校内暴力もイジメも一向になくならないのと同じことだ。

個人の、個別の問題を解決するのがヒーローの仕事ではない。
北斗にはそれがついに理解できなかった。「個」を重要視するあまり、「公」を見失ってしまった。
「公」というのは何も難しいことではないだろう。北斗はあのとき、ウルトラの星の実在を否定すれば良かっただけだ。
それは心の中に輝く、規範なのだと。正しい行いをしているとき、まぶたの裏側に見える星なんだと。


ウルトラの星を、実際に肉眼で確認できるものだと言ってしまった北斗星司。
その破局は、実際に肉眼で確認できるように、人々の目の前でウルトラマンAに変身してみせることだった。

つづく


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