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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
一つの 「カテゴリ」 で一つの記事となってます(記事は古い順に並んでます)。同世代のおっさん向け。

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私と自虐史観 〜『アニメの醒めない魔法』

3人ライダー

個人的な話から始めたい。

このブログは同世代のおっさん向けに書いているものなので、恥をさらして告白するが、ぼくはつい6年半前までは、いわゆる自虐史観の持ち主だった。日本は過去にアジア諸国を侵略した犯罪国家であり、迷惑をかけたアジア諸国には積極的に贖罪すべきだろう、と感じていた。また、いつまでも「日本」という国家に縛られているのは古臭く、世界は人種や民族を超えて一つになるべきだ、とも感じていた。

考えていた、のではなく、感じていた、というのは、その頃までのぼくは、自分の仕事や自分の研究、自分の家族や生活のことで頭がいっぱいで、それ以外のことを真剣に考えることが殆どなかったからだ。

そんなB層スレスレのぼくが、自分のこと以外に目を向けるきっかけになったのは、2002年のサッカーワールドカップだった。この時、韓国チームの非道に憤ったぼくは、導かれるようにあちこちのウェブサイト(2ちゃんねる含む)を読み漁り、アジアの真実のようなものを知った。自然、その先にある日本の近現代史に興味は進み、その過程でぼくのなかの自虐史観はほぼ消えていった。
おそらく同じようなきっかけと経緯で、自虐史観を脱した同世代は多いことだと思う。

それにしても、いったい何故ぼくは自虐史観を持つ人間だったのか。
ぼくの両親は、祝日には必ず国旗を掲げる人間だった。
また幸いにして、ぼくが受けた教育の場では日教組の人間が幅をきかせていることもなかった。大学時代には左翼運動家の知人もいたが、彼らが自分たちの思想をぼくら「ノンポリ」に押しつけてくることはなかった。
久米宏や筑紫哲也の番組は常々、偏っていると感じていた。

にも関わらず、ぼくは2002年まで自虐史観を持っていた。
では、家庭でも学校でも教わらなかった自虐史観を、ぼくは一体何ものから学んだというのか。

そんな漠然とした疑問を抱えていたぼくに、あるヒントを与えてくれたのは高田明典という先生が書いた『アニメの醒めない魔法』(1995年PHP)という本のなかの一説だった。
1961年生まれの高田さんは「ウルトラマン世代」であり、成人してからは「新人類」と呼ばれた世代。高田さんは、ウルトラマンを「欲望という魔物」を「調伏する」存在だと定義したうえで、自らが属するこの世代をこう評している。

「これ(ウルトラマン)に熱狂した視聴者は、常に自らの内部に『ウルトラマン』を飼っていると言えるでしょう」
「この世代は、したがって『欲望があっても、それを表に出さない』『自分の考えを表明しない』『元気・覇気がない』『何を考えているのかわからない』、等という風に言われます」
「ウルトラマンという超自我を内部に持ってしまった彼らは『自己規制』の権化となってしまったのです」


簡単に言うと、出る杭になりかけると心の中のウルトラマンがそれを叩きに来る、ということだろう。
ここで高田さんの言う世代論自体が当たっているのかどうかは、それより若干若い「仮面ライダー世代」であるぼくには定かでないが、とにかくぼくはこの文章を読んでぶったまげてしまった。
自我形成期に「ウルトラマン」を観て育った子どもたちは、自らがウルトラマンになろうとはしない。むしろ、ウルトラマンになろうという欲望を、心の中のウルトラマンが規制してしまう・・・。

これはぼくの中のヒーロー観が、180度転回してしまうような衝撃だった。

では、ではぼくら「仮面ライダー世代」はどうなのだろう。
ぼくらは幼少時にライダーベルトを腰に巻き、塀から飛び降りては骨折してきた世代だ。仮面ライダーの「正義」を愛し、ショッカーの「悪」を憎んできたぼくら。

そのぼくらの中の仮面ライダーとは、一体ぼくらにどう作用するというのだろう。

つづく

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