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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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変身忍者 嵐 焼け跡世代とヒーロー

変身忍者嵐

変身忍者 嵐』(1972~1973)も、『仮面ライダー』同様、悪から生まれて悪と戦うタイプの作品だ。

舞台は江戸時代。1000年の歴史をもつ忍者集団「血車党」は首領・魔神斎の指令のもと、日本征服に乗り出した。血車党の谷の鬼十は、魔神斎に命じられてその秘伝の術によって「化身忍者」と呼ばれる怪人を製造してきたが、魔神斎の野望を知ると、息子のハヤテを「変身忍者」に改造した。しかし谷の鬼十の「秘伝書」は血車党に奪われ、鬼十も殺されてしまった。ハヤテは日本中に散った血車党を追って、討伐の旅に出るのだった・・・。


ショッカーから生まれた仮面ライダーがショッカーと戦うように、血車党から生まれた変身忍者嵐は血車党と戦う。異なるのは、嵐を生み出したのが嵐(ハヤテ)の実の父だということだ。
だから、オープニングのナレーションではこうなる。

「変身忍者嵐は元血車党の忍者、ハヤテだ。血車党はハヤテの父が作った化身忍者を操り、日本征服をたくらむ。ハヤテは父のあやまちを償い、日本の平和のため、自ら変身忍者嵐となり血車党と戦うのだ」

この時代のヒーロー番組には、悪から生まれて悪と戦うという、いわば「父殺し」とでも言うような構図が結構ある。『仮面ライダー』『変身忍者嵐』以外でも『人造人間キカイダー』『デビルマン』などがすぐ思い浮かぶことだろう。
ではなぜ彼らは一様に、その「父」と戦うのか?

『変身忍者嵐』では、それは嵐(ハヤテ)の実父が「あやまち」を犯したから、息子のハヤテがその「償い」をする、と説明されている。そしてその「償い」は実父だけに及ぶものではなかった。
ハヤテは言う。
「わたしは今でも血車党を愛している」(第3話「呪いの妖気! オニビマムシ!!」)
つまりハヤテから見ると「悪」に染まった血車党とは一時的な姿であって、魔神斎一派さえ打倒すれば血車党はまた元の平和な集団に戻れる、と彼は確信している。「あやまち」の「償い」は、血車党全体をも指しているというわけだ。

元は平和な集団だった血車党が、魔神斎によって狂わされ「悪」になった・・・・。
血車党自体は「悪」ではなく、罪があるのは魔神斎一派だけ・・・。

このハヤテの発想は、いかにも自虐史観的だとは言えないだろうか。
日本の民衆は、軍部にだまされてあの戦争をさせられた。裁かれるべきは戦争指導者たちであって、民衆には罪はない。
そういった東京裁判の根底にある思想と、『変身忍者 嵐』のハヤテの発想は限りなく近いものであるように、ぼくには思える。


それでは、どうしてこの時期「父殺し」のヒーローが乱立したのか?
その理由の一つとして、当時の番組の作り手の世代論が有効になると、ぼくは思う。

当時、子ども番組を作っていたのは戦争を幼少期に体験した人々だった。具体的には1935~1939年生まれの「焼け跡世代」を中心にした世代を指す。
ざっと列挙してみると、『仮面ライダー』系では平山亨プロデューサー(1929)を始め、石森章太郎(1938)、伊上勝(1931)、長坂秀佳(1941)、『ウルトラマン』系では金城哲夫(1938)、上原正三(1937)、佐々木守(1936)、市川森一(1941)・・・・。
他にも、梶原一騎(1936)、富野喜幸(1941)、宮崎駿(1941)、松本零士(1938)など、そうそうたる面々だ。

そんな彼らは、二つの「正義」を見てしまった世代だと言えるだろう。
言うまでもなく、日本(大日本帝国)の「正義」と、アメリカの「正義」だ。そして敗れた日本の正義は「悪」だとされたのも見た。彼らの父親世代は「悪」に騙された世代だとされた。

「正義」だと信じていたものが「悪」に変わり、新たな「正義」が外からやってくる。
こんな体験をしたのは、この世代くらいなもんだろう。
だから、彼らの作る物語では「正義」も「悪」も、民衆の外部にあることが多いのだとぼくは思う。

これは、戦争を成人で迎えた大正生まれの川内康範や小林利雄が、『月光仮面』や『快傑ハリマオ>』の中で「正義」を民衆一人一人の中に置いたことと比べると、明らかな違いが浮き彫りになるだろう。
あるいは1945年生まれの永井豪作品の、無邪気なまでの勧善懲悪思想も参考になるかもしれない。

かくして、昭和一桁や焼け跡世代が作るヒーロー番組には「父殺し」すなわち大日本帝国を殺す(否定する)物語が乱立した、とぼくは考えている。そしてそれは、アメリカを「正義」とする戦後民主主義、さらには自虐史観のストーリーと一致する。

『変身忍者嵐』の「あやまち」の「償い」には、そういう意味が隠されているのだと、ぼくは思う。

つづく

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