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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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サイボーグ009 超銀河伝説

悪の帝王ゾア

話が前後してしまうが、『仮面ライダー』から始まる70年代ヒーロー番組の源流がどこにあるかと言えば、それは石森章太郎のライフワーク『サイボーグ009』だろう。
1966年に公開された劇場用アニメ『サイボーグ009』の序盤部分は、『仮面ライダー』のそれと極めて酷似している。

まずショッカーならぬブラックゴースト団という悪の秘密結社があり、だまされてその組織の人体改造に協力してしまうギルモア博士(ライダーでは緑川博士)がいる。主人公の島村ジョーは抜群の運動能力を誇るカーレーサーだったが(本郷猛はオートバイのレーサー)、その能力に目を付けられてサイボーグにされてしまう。島村ジョーは博士とともに組織から逃亡し、組織と戦うことを誓うが、人間でなくなってしまった悲しみは時として彼を苦悩させるのだった・・・。

と、ごらんの通りで、基本的なストーリーはほどんど同じ。『サイボーグ009』の9人のサイボーグを1人にし、実写の特撮シリーズらしくリアリティを持たせたものが『仮面ライダー』だと言って、ほぼ差し支えがないように思う。

となると、このブログでいま問題にしている、自虐史観につながる世界観をヒーロー番組に持ち込んだ張本人は、実は石森章太郎その人だったということになるが、おそらくそれもほぼ断言して差し支えがないように思う。
その根拠はやはり『サイボーグ009』にある。

1966、1967年に相次いで劇場用アニメとして制作された『サイボーグ009』は、それから十数年たった1980年に『サイボーグ009 超銀河伝説』として銀幕にかけられた。原作・総指揮は石森章太郎。

新聞広告には『宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999に続く壮大なスケールの娯楽超大作』と当時ヒットしていた宇宙を舞台にしたSFアニメを意識したコピーが打たれていた」(Wikipediaより)

1980年といえば、アニメブームのひとつの頂点とも言えるような時期だった。2年前の1978年には社会現象として騒がれた『さらば宇宙戦艦ヤマト』の公開があり、翌1979年には『銀河鉄道999』が大ヒット、テレビでは『機動戦士ガンダム』が始まった。書店には何種類ものアニメ雑誌がうずたかく平積みされていた記憶がある。

その一方で、70年代前半を席巻した特撮ヒーロー番組はもはや虫の息で、1980年だと『ウルトラマン80』『仮面ライダースーパー1』『電子戦隊デンジマン』といった定番ものがいくつかある程度・・・。しかしぼくらの世代で、これらの特撮番組を観ていた人はそう多くはないだろう。

すでに「正義」は相対化されて、一つではなくなっていた。悪役には悪役の主張があり、「正義」があった。主人公たちの「正義」が無条件に保証されることはなくなり、複数の「正義」の激突こそが、物語の根幹をなすようになった。主人公たちは、しばしば自らの「正義」の崩壊に直面し、そこから様々な問いかけが生まれていくような、重層的な構造を持った物語が多数誕生した。
『サイボーグ009 超銀河伝説』はそんな時代に投入された、130分の大作だった。

ストーリーはこうだ。
コズモ博士は宇宙を生んだ母源の存在を発見し、それをボルテックスと命名した。ボルテックスが実用化できれば、地球上のエネルギー問題は全て解決する大発見だ。しかし、宇宙征服を企む悪の帝王ゾアがその研究を狙っていることが発覚。コズモ博士と001はゾアの手で拉致されてしまう。残るサイボーグたちはゾアの野望を粉砕するため、宇宙への旅に出発するのだった・・・・。

『サイボーグ009 超銀河伝説』goo映画によるあらすじ

・・・これは逆の意味で、恐るべきストーリーだと言っていい。。
何と1980年になってなお、『サイボーグ009』は勧善懲悪の物語だったのだ。

もちろん『サイボーグ009』がいつでも”悪の軍団の侵略”と戦ってきたというわけではないんだが、仮にも2時間を超える劇場用作品ともなれば、『サイボーグ009』の集大成と見なされて然るべき存在だろう。キャッチコピーにあるように、この『超銀河伝説』は『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』に比肩する作品として制作されたのだ。

ちなみに1980年のアニメ映画というと『地球へ・・・』があるが、あらすじを読んだだけではストーリーや人間関係を把握するのが困難なほど、複雑かつ重層的な世界観がある。もちろん「正義」がどこにあるのか、あるいはそんなものは最初から存在しないのか、相当な熟考を要する。誰も、自分から自分が「悪」だとは言ってくれないからだ。

『地球へ・・・』goo映画によるあらすじ


もしかすると石森章太郎にとっては、ヒーローが戦う悪役の設定など、どうでもいいことだったのかもしれない。
問題なのは「悪」によって作られた身体を持つヒーローが、いかにして「善」の心を維持するかの内面の葛藤にあるのだろう。だから石森章太郎のヒーローたちは、やたらと悩む。島村ジョーも、本郷猛も、光明寺ジローも、とにかく悩む。自分が人間ではないことが、彼らを悩ませる・・・。

だが、ストーリーを吟味してみると、実はこの”人間ではない身体”にしか、彼らの戦いの動機が存在していないことに気がつく。島村ジョーも本郷猛も、もしも改造手術を受けることがなければ、好んで「悪」と戦うつもりなどサラサラなかっただろう。彼らは言わば、仕方なく、やむを得ず「悪」と戦った。「悪」と戦わなければ、「悪」の身体をもつ自分自身の「善」を証明できないからだ。戦わないジョーや本郷は、”今のところは”悪事を働いていない「悪」に過ぎない。

結局のところ、石森章太郎は彼のヒーローたちに「悪」と戦う積極的な動機を与えることがなかった。その結果、彼のヒーローたちの「正義」を担保するものが、彼らが「悪」と戦っていることの1点にしかないという事態に繋がってしまった。要は、「悪」が消えた瞬間に「正義」も消えてしまうという異常事態だ。

皮肉なことに、そんな石森ヒーローの異様な在りようが如実に表されたのが、石森的世界をその身体そのものに持った存在、キカイダーだった。

つづく

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