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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
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モスラ ~『モスラの精神史』

モスラの繭

モスラというと、人間の味方をする平和的な怪獣、というイメージがあるが、少なくとも『モスラ』(1961年)に登場する初代モスラはそうではなかった。モスラが味方をするのはインファント島の人間だけであり、モスラが守る平和はインファント島の平和だけだった。

日本についていえば、モスラは豪華客船を沈没させ、東京第三ダムを破壊し、東京タワーをへし折った。アメリカ(劇中ではロリシカ)に至っては、大都市ニューヨーク(劇中ではニューカーク)を壊滅させられた。インファント島の平和を守るために、モスラは日米両国に甚大な被害を与えた。

ストーリーを簡単にいうと、それは南太平洋の孤島、インファント島に日米合同の調査が行われたことに始まった。この時、日本人グループはインファント島を保護する立場をとったが、アメリカ(劇中ではロリシカ)側は、島の住民とモスラを媒介する巫女の「小美人」を拉致し、見世物として興行に利用する行動に出た。

やがてモスラの卵が孵化し、モスラ(幼虫)は小美人を取り返すため、見世物興行が行われている東京を目指してやってきた。太平洋上で自衛隊による攻撃を受けるとモスラは海中に潜行し、今度は奥多摩の小河内ダムに現れた。モスラの東京上陸を知ったアメリカ人興行師ネルソンは、アメリカ本国に逃亡した。モスラは東京を横断すると東京タワーにまゆを作り、羽化。小美人を追って渡米するとニューカーク市を蹂躙する。ネルソンは地元警察に射殺され、そこに日本側のインファント島調査団のメンバーが駆けつけた。中條博士の発案によってモスラは沈静化し、解放された小美人を連れてインファント島へ帰っていった・・・。


ところで『モスラ』については絶好の参考書がある。小野俊太郎さんという評論家の書いた『モスラの精神史』がそれで、この本を読むと『モスラ』の背景となった事象の大半が理解できるようになっている。特に、モスラが日本の伝統産業である「養蚕」と深い関わりがあること、また、『モスラ』の背景に1960年に改定された日米安保条約があることは非常に興味深い話だった。

しかし、ぼくがこの本を手にして真っ先に開いたページはそこではなかった。
「第八章 小河内ダムから出現したわけ」。ここが読みたくて、ぼくはこの本を買った。

『モスラの精神史』によると、『モスラ』の原作『発光妖精とモスラ』では、太平洋を北上してきたモスラ幼虫は始め鎌倉に上陸し、そこから陸路で東京に進撃すると、国会議事堂にまゆを作ることになっていたらしい。それが脚本の関沢新一の手で、地中から小河内ダムに出現し、東京タワーで羽化するように変更されたそうだ。

なぜダムなのか?
小野俊太郎さんは本文中で「自然主義リアリズムを越えた理由」があるはずだと言い、こう説明する。

「ダムの決壊と大量の水の流出というスペクタクルが、水というイメージのつながりもあって、インファント島から海を渡って怒濤のように押し寄せてきたモスラの迫力を持続してきたせいかもしれない」


もちろんこれだけでは説明不足なので、小野さんは最終的にモスラがまゆを作った東京タワーとの関連に目をつける。小河内ダムができたのは1957年、東京タワーが翌1958年。この東西の新名所をモスラが一直線に横断したことに意味があるのだろうと。

なぜ国会議事堂が東京タワーに変更されたのかについての小野さんの考えはこうだ。第一に、当時は東京タワーより高い建物がなかったから。第二に、誘蛾灯としての塔というイメージによって。第三に、映画人にとっての強力なライバルであるテレビ電波塔をへし折るという意味。

しかし、ここでの小野さんの解説は、正直なところ、何となく腑に落ちないものである気がする。
もっと簡単に考えてはいけないものか。それも、小野さん自身がそこまでの間に触れられている『モスラ』の背景となる事象を使って。
つまりは「養蚕」と「安保」という2つのキーワードで。


まず、なぜ国会議事堂が東京タワーに変更されたのかだが、ぼくはそれはモスラがカイコガであることによる必然だったのではないかと思う。

http://www3.famille.ne.jp/~ochi/kaiko/06-eiken.html

このサイトを見ると、カイコガは平面に密着させるのではなく、空中に浮かせるようにまゆを作るということが分かる。カイコガにとっては、最低でも三角形からなる空間が必要だということだ。

となると、モスラのあの巨大なまゆを内部に収容できない以上、国会議事堂にまゆを作ることは不可能だ。
当時それが唯一可能だったのが、上半分をへし折ることで三角形の空間を作ることができる東京タワーだということに関沢新一が気付いたから、あの変更が行われたのではないか(ただし、東京タワーをもってしても翼長250メートルのモスラのまゆを収納することは不可能だったが)。

それと、なぜ小河内ダムに出現したかは、1960年の安保改定が背景にあるように、ぼくには思える。
そもそも小野さんは、モスラはダムから陸路を進み、横田基地を通過して都心に向かったと見ているようだが、それはぼくは違うと思う。
あの時、ダムでモスラを目撃した福田ら新聞記者たちは、そのちょっと後には都心にいた。これはつまり、モスラは一旦はダムに現れたものの、再び地中に潜ったと考えるほうが自然だろう。でなければ、敏腕で鳴らす福田記者がモスラを追跡しないことはありえない。

さらには、その都心で、福田記者のもとに届けられた言葉は「モスラが現れたのよ」「横田基地に」だった。このセリフからは、モスラが奥多摩から陸路で横田基地までノコノコやってきたとは読み取れない。第一、横田基地の米軍がそれをぼんやり眺めているはずもない。ダムに消えたモスラは、地中から横田基地に奇襲をかけたと見るのがやはり自然だろう。
そしてその結果として、在日米軍は指令本部を失ってしまった。だから、60年の安保改定直後であるにもかかわらず、モスラの東京襲撃に米軍は出動することができなかった。

つまり、あれほど日本中を騒がせた安保改定の記憶が新しい1961年でそれなりのリアリティを維持するためには、先に横田基地の在日米軍本部を封じ込めておく必要があった。そのためにモスラは鎌倉ではなく、福生に現れた。ただし、いきなり横田基地を襲ったのでは日米同盟にケチをつけているように思われかねないので、わざと行き過ぎてダムに現れ、それからおもむろに横田基地を叩いた。ぼくはそう思う。


そういった操作を自然に行うため、モスラは拉致された「小美人」のテレパシーを感知して行動するように設定された。そして、そのテレパシーを遮断するためのケースも東京で開発された。

ここで、このケースを使ったテレパシーのONとOFFが、その後のモスラの行動を決定した。テレパシーON時のモスラは「小美人」の居場所に向かう。一方、テレパシーOFF時のモスラは、その直前の行動を延長する。
これらの操作によって、脚本家はモスラを自由にコントロールすることが可能になった。ネルソンに「うっかり」ケースを開けさせることで、モスラをアメリカに差し向けることも自由自在だということだ。


モスラがニューヨークを襲撃する。
『ゴジラ』を、戦後日本人が持つ大国アメリカに対する「ひがんだ被害者意識」が根底にあると捉える佐藤健志は『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』のなかで、「『モスラ』は当時の日本における反米意識を例によってストレートに反映した作品」だと言うが、それはいくらなんでも我田引水に過ぎるように思える。

『モスラの精神史』によると、『モスラ』の最終稿は、逃げるネルソンを追ってモスラが霧島(高千穂)に飛来する予定だったのを、米コロムビア映画社の意向でアメリカ襲撃に変更されたそうだ。
しかし、そういった興行的な背景は置いておいても、『モスラ』では物語の途中にある「反米意識」よりも、日本人のインファント島への誠意がアメリカの危機を救ったという結末のほうが、よほど核心であるように思う。

それは、経済の復興によって日本人が再び自信を取り戻してきた、というような矮小な意味ではないだろう。もっと根源的な、白人には分かりあえない、南洋の人々と日本人の間にある遠いつながり。そういう精神を、ぼくは『モスラ』全体から感じる。
それは、白人から見れば巨大な蛾でしかないモスラを「神」として崇める精神なのかもしれない。あるいは、遠い昔に先祖を同じくする所以なのかもしれない。

いずれにしても、ここに怪獣を「守護神」とする作品が現れた。

つづく

関連記事:モスラ対ゴジラその1 モスラ対ゴジラその2

※なお日米安保については以下のサイトが分かりやすい。
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20040706A/