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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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人造人間キカイダー ~ハカイダーの幼児性

サブロー

前回の続き

人造人間キカイダー』終盤の面白さは、「正義のヒーロー」であるはずのキカイダーよりも、むしろ悪役であるハカイダーのほうが、より一般的な「正義のヒーロー」に近い、という点につきるだろう。

整理すればこうだ。
まずハカイダーは、キカイダーを倒せという単一の命令を受けている。ハカイダーはキカイダーと戦うことだけが目的なので、それ以外の悪事を働くことはない。また、ハカイダーは卑劣な行為は嫌っていて、正々堂々とキカイダーを倒すことを望んでいる・・・。

こんなハカイダーと、同時期の「正義のヒーロー」のどこに違いがあるというのか。
例えば『イナズマン』だ。

イナズマンは、バンバの新人類軍団を倒せという単一の命令を受けている(厳密には志願した)。イナズマンはバンバと戦うことだけが目的なので、それ以外の善行に励むことは特にない。また、イナズマンは卑劣な行為は嫌っていて、正々堂々とバンバを倒すことを望んでいる・・・。

という具合に、キカイダーという「善玉」を標的にしている以外の点では、ハカイダーとイナズマンの言動はほとんど同じだ。もしも、プロフェッサー・ギルがハカイダーに与えた命令が「バンバを倒せ」であったなら、ハカイダーとイナズマンは仲良く共闘して事に当たったことだろう(最終的な手柄をハカイダーに譲ってやる必要はあるが)。

だが、そんなハカイダーは、標的であるキカイダーが破壊されてしまうと自分の存在理由を見失い、途方に暮れてしまう。そのあげくが逆ギレで、自分にキカイダー打倒の命令を下したギルを憎悪すると殺意を持ち、さらにはその怒りを、血を分けた”父親”ともいえる光明寺博士に向けるようになった。

光明寺博士を目の前にして、ハカイダーが絶叫する殺害の動機はこうだ。
俺はコイツのおかげで、ただの殺人機械にされたのだ!」(第42話)

「殺人機械にされた」と恨みながら、今また光明寺を殺そうとするハカイダーの矛盾。
ハカイダーの精神レベルは、そんな矛盾にさえ気がつかないほど、幼い。
まるで、親のいいなりになってガリ勉に明け暮れたものの、元の頭が悪いせいで受験に失敗し、青春を奪われたとか騒いで金属バットで親を殴り殺そうとする子どものようだ。

ハカイダーは仲間のダークロボットを蔑んで、言った。
「俺はお前たちのように命令通りに動く低脳ロボットではない」と。
しかしどうだろう。
本当にハカイダーと他の「低脳ロボット」の間に、彼が自負するほどの違いはあったのだろうか。

そしてもしもハカイダーが、70年代の「正義のヒーロー」たちと同じヒーロー像であるとしたなら、彼ら「正義のヒーロー」たちはどうなんだろう。
ハカイダーは、キカイダー打倒が果たされたとき、自己の存在理由を失ってしまった。それは、それだけが彼の信じる「正義」だったからだ。しかしハカイダーは、その「正義」がどのように「正義」であるかは考えることがなかった。ただ、キカイダーを倒すことが「正義」だと、ギルに教えられただけだった。

いや、俺は違うぞ。俺は人間の自由と、世界の平和のためにショッカーと戦っているのだ。
と、仮面ライダー=本郷猛なら言うだろう。だからショッカーと戦う自分は「正義のヒーロー」なのだと。

だが、仮面ライダーがショッカーを全滅させたところで、実際にはこの世の中が何か良くなるわけではない。
そりゃ当然で、それは所詮は虚構の、架空の世界での出来事に過ぎないからだ。いもしないショッカーという侵略者にわざわざ「人間の自由」やら「世界の平和」やらを脅かさせておいて、おもむろにヒーローにそれを叩きに来させるのが70年代ヒーロー番組の基本フォーマットだ。

要は、仮面ライダーがショッカーを滅ぼしたのちに残るものは、70年代の”現実の”日本の姿でしかない。仮面ライダーは(歪んでしまっている)虚構の日本を、現実のリアル日本に戻す作業をしているだけだ。そこにあるのは、現実の日本社会の絶大なる受容・肯定であって、現実社会の永久不滅の維持だ。
つまりは仮面ライダーの「正義」とは、現実の日本社会の姿そのものに他ならない。

現実こそ「正義」、今がサイコー!ということだ。

だから、現実の日本を良しとしない立場から見れば、ヒーローの「正義」など茶番でしかない。
その左翼的思想をヒーロー番組に織り込んだ脚本家、佐々木守などは、自分が生み出したヒーロー『アイアンキング』のなかで、ヒーローに向けてこんな皮肉を浴びせかける。

「あなた(※ヒーロー)とあの人は違うわ。あの人たちは革命のために戦っている。自分の思想のために戦ってるわ。でもあなたは命令されて戦っている。そう、あなたは戦うことが好きなだけよ」
「弟は幸せものです。だって弟は自分の思想のために、自分の考えを貫いて死んだんですもの。(中略)あなたたちも、あなたたちの考えを貫いて戦ってらっしゃるんでしょう?」(詳しくは当ブログ、アイアンキングのカテゴリにて)

ヒーローは命令されて戦っている。ヒーローは自分の考えを持っていない。
これが佐々木守がヒーローたちに浴びせかけた皮肉だ。
ハカイダーがこれを聞けば、うんうん、たしかに俺はそうであったのー、と大いに納得することだろう。
ではイナズマンはどうだ?
仮面ライダーは、超人バロム・1は、変身忍者嵐は、ゴレンジャーは、どうなんだろう?
彼らは彼らが維持しようとする現実の日本社会の、どこがどう「正義」なのか、考えたことがあるのか? 現実世界を無批判・無条件に受け入れ、肯定し、維持しようとする力の先兵になってはいないのか?

一つの価値観だけを盲目的に信じさせられたハカイダーは、たしかに”幼稚”の誹りを免れないだろう。
しかし例えば、いい学校を出て、いい会社に入ることが人間の幸せだと信じて疑わず、それだけを我が子に押しつける大人は、果たして”幼稚”ではない、と言い切れる存在なのか?


『人造人間キカイダー』では、悪役のハカイダーのほうが、実際には「正義のヒーロー」そのものである、という一種のねじれ現象を見ることができた。
では、ヒーローであったはずのキカイダー=ジローは、このねじれ現象にどのような答えを見出したのだろうか。

つづく

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