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竹波エーイチ

Author:竹波エーイチ
1967年生まれのおっさん。
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レインボーマン 阿弥陀如来とニート

ヨガの眠り

レインボーマン』は、ごく常識的な意味での「リアリズム」を持ち込んだヒーロー番組だった。
いわゆる「悪の組織」にとって、”ヒーロー”ほど目障りで邪魔なものはない。どうにかして消してしまおうとするのが普通だろう。それを、ごく現実的に表現すればどうなるか。

ヤマトタケシは普通の民間人だ。だから彼は、下町で普通の人間として暮らしている。そのタケシを付け狙う死ね死ね団は、当然タケシの家族だって狙ってくる。団らん中のヤマト家を銃弾が襲い、時限爆弾が仕掛けられる。「危ないことはやめておくれ」と泣きながらすがりつく母。

大切な恋人、淑江も狙われる。淑江の父で、レスリングジムと保育園「どんぐり園」を経営する正造も狙われる。「どんぐり園」の園児さえも狙われる。レスリングの先輩である堀田が狙われ、堀田の知り合いの刑事は殺される。たった一人の親友、吉岡はサイボーグにされてタケシに襲いかかってくる。

要は、タケシとつながりのある全ての人々が死ね死ね団に狙われ、危険な目にあっていく。
これが”ヒーロー”が直面する現実というものだろう。

しかし『仮面ライダー』をはじめとしたヒーロー番組のほとんどは、その部分を省略した。その一方で、ヒーローたちにとっては自分の身を守るくらいは簡単なことでもあった。
だから『レインボーマン』をみた後に他のヒーロー番組をみると、そこにはヒーロー自身の安全が、かなりの面で確保されていることが分かる。彼らには、自分の親しい人たちが今この瞬間にも殺されているかもしれない、というような余計な心痛に悩まされることはない。これは気楽だ。仮面ライダーイナズマンには、いつだって”ヒーロー”を廃業する自由がある。公務員ヒーローのゴレンジャーなら、異動願いを出せばいいだろう。

だがタケシにはヒーロー廃業は許されない。
もちろん、死ね死ね団に降伏してもダメだ。敵は日本人全ての抹殺を悲願にしている。タケシが戦わなければ、遅かれ早かれ日本人は全滅する。そこにはタケシの家族も、恋人も、友人も、町内の人々も、みんな含まれている。
だからタケシは、一日でも早く死ね死ね団の本拠をつきとめ、それを滅ぼさなければならない。

その結果、事情を知らないご近所さんから見れば、タケシは昼間っからブラブラしている若いモン、すなわち「ニート」になってしまった。ヨガの秘術を会得し、ダイバダッタの魂を宿した史上最強の等身大ヒーロー、レインボーマンの真実は、ただのニートだった。

タケシは昼間のうちはずっと空から死ね死ね団のアジトを探している。彼には本郷猛のように大学で研究を続けたり、ゴレンジャーのように定例会議をしたりしている余裕はない。一刻も早く事件を解決するために、彼は自分の全ての時間をレインボーマンの使命に捧げているのだった。

ではその「レインボーマンの使命」とは何か。
タケシはそれを師匠のダイバダッタから受け継いだのだが、彼らはそれを「如来の心」という。
如来にもいろいろあるが、タケシが受け継いだのは「阿弥陀如来」の心だろう。
レインボーマンはエネルギーがなくなると「ヨガの眠り」と呼ぶ5時間の休息に入る必要があるが、このときタケシは座禅を組み、印を結ぶ。これが阿弥陀如来の姿をとっている。鎌倉大仏と同じと言えば分かりやすい。

Wikipediaには「阿弥陀如来」について次のような記述がある。

「『仏説無量寿経』によると、一切の衆生救済のために王位を捨てて、世自在王仏のもとで法蔵菩薩と名乗り修行をした。非常に長期間衆生の救済の思索をめぐらし、浄土への往生の手立てを見出し、衆生救済に関して48の誓願を発願したのち、改めて誓いを立て修行し、それが成就し仏となった報身仏と説かれる」


キーワードは2度出てくる「修行」だろう。
タケシがその心を受け継いでいるなら、彼はレインボーマンになった後も、たった一人で長い長い修行を続けなければならない。”ヒーロー”になっただけでは、まだ修行は終わりではないということだ。


ところで、ぼくはこのブログでは再三にわたって70年代ヒーロー番組の持つある側面について批判的な立場をとってきた。それは『仮面ライダー』に代表される東映ヒーロー番組の多くが、ぼくらの自衛のための戦闘を外部化し、他人事に感じさせる効用を持っているという面だ。つまり、戦うのはどこかの「正義」から委託された「代理人」であって、ぼくらは当事者ではない。ぼくらは「代理人」である「正義のヒーロー」に戦闘を依存し、戦況を見物していればいい。
そして言うまでもなく、この構造は、「正義」=アメリカ、「代理人」=在日米軍の構造と一致する。

しかしどうだろう。
あらゆる苦痛に耐え抜いて、ようやく誕生したレインボーマン。彼は”ヒーロー”になってなお、その使命と責任の重さに耐え、自分につながる人々の生存を思い悩み、瀕死の父親を見殺しにした罪業に苦しんだ。それもこれも、全てはこの日本の破壊をもくろむ死ね死ね団の魔の手から、ぼくら日本人を救済したいがためだ。
レインボーマンは、代わりがいくらでもいるような、どこかの「正義」の「代理人」なんかではない。

そんな孤独なヒーローに、ぼくらはただ「依存」するだけでいいのだろうか?
『レインボーマン』で描かれるヤマトタケシという主人公の姿は、ぼくら当時の子どもたちに、安全な場所から一方的に「依存」されることを拒否しているようにも、ぼくには思える。
第35話で恋人の淑江に、事件なんてレインボーマンに任せておけばいい、と言われたとき、彼女に正体を明かせないタケシはこう叫んだ。

「レインボーマンは宇宙からきたスーパーマンじゃないんだ。ロボットでもサイボーグでもないんだ。レインボーマンは人間なんだ。力の限り生きている人間なんだ。だから俺も、一緒に戦わなければならないんだ」

つづく


タケシがレインボーマンに化身(変身ではない)する際に唱える呪文は「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」というものだが、「完全な悟り」という意味だとか(豆知識)。



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